慧妃(けいひ、? - 1670年5月30日)は、清の康熙帝の側室。モンゴル・ホルチン部の出身。姓はボルジギト(博爾済吉特)氏(Borjigit hala)。康熙帝の祖母の孝荘皇太后と同族であるが、その再従兄弟の娘にあたる。
幼いうちに将来の妃嬪として後宮に入った。康熙9年4月12日(1670年5月30日)、亡くなった。 翌月、慧妃を追贈された。